――まだ、かよ。


惚れた女に良い所を見せようとするのも考えものだ。むしろ弱い所を見せられた方が惹かれる、という場合もある。
正直言って居なくなってしまえとすら思っている男の回復を願う日が来るなんて思ってもいなかった。――思いたくもなかった。


「只今戻りました!」
執務室に入ってきたのは、総合救護詰所まで書類を運びに行っていた隊員だ。この部屋の主が一言労いの言葉をかけると、彼は持っていったよりも多く積み重なっているそれを、今は居ない、主の副官の机に置く。
「...まだ意識を取り戻されてないご様子でしたよ、市丸隊長」
それが気になってこちらを見ていたのだろうに、この隊の隊長は眉間に皺を寄せた表情を少しも崩さないまま、「そうか」と答えただけだった。
――そんなに気になるのなら、いっその事隊長もご一緒なされば良かったのに。
彼はそんな本音を自分の胸の中にしまったまま、一つ小さなため息を吐いた。
――尤も、本当にそんな事が起きたら仕事にならないけれど。




花は折りたし梢は高し




――まだ、なの。

目の前に横たわる銀髪の男の寝顔に、彼女はため息を吐く。彼の寝顔を見るのも、ため息を吐くのも、もう何度繰り返した事かわからない。
知らせを受けてからずっと落ち着かない自分を快く送り出してくれた隊長が隊員づてに届けてくれる書類は、どれもそう難しいものではなかったから、すぐ手が空いてしまう。妙に気配りの上手い隊長の心遣いが、今は少しも嬉しくない。
隊舎に戻って仕事に没頭する事が出来れば良いのだが、隊長が許してくれないだろうし、第一、時々ひどく辛そうに顔を歪めるこの男をここに残し戻って、自分が平常心を保っていられる自信なんて無い。
となればやはり。
「早く目ェ覚ましなさいよ...」
――ギン。
彼に呼びかける自分の声が熱っぽく掠れている事に戸惑った彼女は、そんな自分を嘲笑った。もう彼が居なくても生きていけるのに。それだけの力を身につけたのに。



「あれ、松本さん?」
定時を少し過ぎた後。ギンの眠る個室の戸口から、ひょっこりと顔を出す青年――ギンの副官、吉良イヅルが現れた。
「あら、吉良。どうしたの?」
まずい、と彼女――松本乱菊は思った。
普段ならもっと前に気付くはずなのに、注意力が欠如していたせいで気付かなかった。ここに居る理由の上手い言い訳を考える時間が無い。
「どうしたも何も、仕事が終わったからお見舞いに来たんですよ。
――松本さんこそ、どうしたんですか?」
ほら、やっぱりきた。
「あたしもお見舞い、よ」
嘘は言ってない。嘘は。
そんな彼女の返答に、イヅルはふーんと疑いの眼差しを向ける。
「今日の業務時間中、ずっと、ですか?」
...。
「べ、別に良いでしょ?仕事ならちゃんとしてたわよ」
「良いですよ。僕には関係ありませんから」
...まったく、変な所ばかりギンに似てきている。
関係無い、かぁ。
よく言われたっけ。

「でも松本さんが居てくれるなら安心です」
「え?」
「この人が寂しがりだって事、よく知ってますよね?」
“起きた時誰も居なかったら、きっと文句言いますよ”
容易に想像出来るそれに、乱菊からも自然に笑みが零れた。





















徐々に近付いてくる、この霊圧は正しく彼女のもの。間違える訳が無い。
彼は、自らの霊圧は潜めたまま、瞬歩で隊舎の近くまで移動し、彼女を出迎えた。



「遅かったな」
「た、隊長?まだ起きていらしたんですか?」
――お前が心配で眠れなかったんだよ。
とは、言える訳が無い。
「悪いか」
「いえ、そんな事は...
――あ、待っててくれたんですか?」
新しいおもちゃでも見つけたように、楽しそうにそう言う乱菊に、十番隊隊長日番谷冬獅郎は一言“そんな訳あるか”とだけ返し背中を向けた。
知られてたまるか。
小さな彼のその背中が訴えるそれに、乱菊は笑みを浮かべずにはいられなかった。

「今日吉良に会ったんです」
「そうか」
「あの子も市丸隊長のお見舞いに来てて」
「そうか」
やけに返事が素っ気無いのは、きっと腹を立てているからなのだろう。
大方、遅くなった事にでも。
――でもそんな返事のされ方じゃ、こっちだって腹立つんですけど。
そうは思いながらも全くそんな素振りは表に出さず、乱菊は言葉を続ける。
「市丸隊長って吉良を護って怪我なさったじゃないですか?」



現世での任務中、数体の巨虚に同時に狙われたイヅルを救い出そうとして、ギンは傷を負ったのだという。
それももう三日近く意識を取り戻さない程の。
それを聞いた時、冬獅郎は驚いた。アイツも部下を――他人を庇ったりするのか、と。しかしそんな冬獅郎とは逆に、乱菊はこう呟いた。
“市丸隊長はお優しい方ですから”



「吉良、それを気にしているようだったんで、少しですけど、一緒に飲み屋に行ってお酒飲みながら励ましてきちゃいました」
“待っていて下さったのに、すいません”そう続ける乱菊に、冬獅郎は“俺が勝手に待ってたんだから気にするな”と答えた。
――待っていた、という事実を露呈してしまっている事に、気付いていない。
「市丸はどうなんだ?」
「命に別状は無いそうですが、目を覚ますかは本人次第、と卯ノ花隊長は仰っていました...でもきっと大丈夫ですよ」
そう言って乱菊は笑顔を見せる。上がった口角が震えている。
――本当は大丈夫、だなんて思えてないくせに。
「...無理すんなよ」
「誰がですか?」
「...」
他人の事はよく気付くのに、自分の事になるとひどく鈍感になる。損な女だ。と、冬獅郎は思った。




















冬獅郎の翌日の朝は、執務室に現れた乱菊を総合救護詰所に行かせる所から始まった。



「隊長」
「なんだ」
乱菊の居ない隊舎には、昨日と同じ光景が広がっていた。
しかし続く言葉は昨日とは真逆なもの。
「市丸隊長、意識を取り戻されたそうですよ」
「...本当か?」
「はい」
「松本を迎えに行ってくる」
そう言って飛び出した冬獅郎を、止める者は居ない。



...何で松本の霊圧が感じられないんだ?
総合救護詰所に到着した冬獅郎は首を傾げる。もう、すぐ近くにあるはずの乱菊の霊圧が、無い。
もうすでに隊舎に戻ったのだろうか。
それでも一応、ギンの個室に顔を出してみる。やはり乱菊の姿は無く、イヅルがギンと何か話しているところだった。彼が目覚めるまでの隊の様子の話などであろう。


「――もう良いのか、市丸」
「あァ、やっぱり十番隊長サンや。もうすっかりええよ。丸々三日以上寝てたて聞いて驚いたわ。見舞いに来てくれはったん?」
ギンは冬獅郎の姿を確認すると、片手を挙げて出迎えた。上体を起こすまではいかないようだが、顔色も割と良い。(とは言っても普段からそんなに良くはないのだが)
彼の傍らのイヅルは立ち上がると、冬獅郎に向かって礼をした。

「松本を迎えに来たんだが...もう戻ったのか?」
「お宅の副隊長サンなら、ついさっき帰りはったで。会わんかったん?」
「あぁ...そうか、なら良い。邪魔したな」
「何やの、もう帰ってしまうん?」
「仕事の途中なんだ。長居しても悪いし「乱菊」
冬獅郎の言葉を遮って、ギンは彼女の名前を出した。
「ココに寄越してくれたん十番隊長サンなんやろ?乱菊が自分から来ようとするはずないもんなぁ」
「あぁ、そうだが、それがどうした」
「おおきにな。おかげでええ思い出来たわ。目が覚めた瞬間飛び込んでくるのが乱菊やもんなぁ。ボクが起きたん見ておっきな目潤ませて」
とても楽しそうなギンとは反対に、冬獅郎は段々不機嫌になっていく。
――別にお前の為に松本をココに行かせたんじゃない。それをアイツが望んでいるように見えたからだ。アイツに少しでも良く思われたかっただけだ。
しかしそんな風に考えている時点で自分は確実にこの男に負けているように感じられて、今度は自己嫌悪に陥りそうになる。

「これからもよろしゅうな、乱菊ん事」
何だその言い方は。
――わかった、お前がそう来るのなら。
「あぁ」
冬獅郎はギンの目を見据え、そして強く睨んだ。
「アイツは俺が一生面倒見てやるから、安心しろ」


――どうだ。


冬獅郎がそう捨て台詞を吐いて出た部屋には、驚いて言葉の出ないギンと、冬獅郎の怒りと比例して上がっていった彼の霊圧にやられかけたイヅルが残っていた。



Postscript *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


相互リンクして下さった朋さんに捧げます。ちなみにリクエストは、「ギンさんが大怪我をして、気が気でない乱菊さんは、ずっとギンさんにつきっきり。ひっつんは内心穏やかじゃない。ギンさんの意識が回復して、一応見舞いにいったら、ギンさんが、「ボクの勝ちや」みたいなこといって、ひっつんは対抗心の炎を燃やし、報復に出る...」というものでした。多少リクエストからずれてる点もあるかと思いますが、ご容赦下さい...

報復って、最初はひっつん→乱菊さん、だと信じて疑わなかったんですけど、ギンさんに、でも良いかなぁと思いこんな形になりました。
というか、ひっつんが乱菊さんに、と考えたら押し倒すとかしか浮かばなかっt(可哀想な頭)

お待たせしてしまった上長くなってしまい本当に申し訳ありませんでした...受け取っていただけたら嬉しいです。
朋さん、相互リンクありがとうございました!

朋さん以外の方の転載はご容赦下さい。


(5/20/06)

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