――やっぱり、ダメだ。



Can’t penetrate












「松本。お前、帰らねぇのか?」
「たいちょ」

冷えた心地良い霊圧には大分前から気付いていた。
だが、そんな素振りは見せず、護廷十三隊十番隊副隊長松本乱菊は、自身の直属の上官である十番隊隊長日番谷冬獅郎の声に振り向いた。





十番隊隊舎、副官室。乱菊は副官室のソファに座り、背凭れに首を乗せて窓を眺めていた。
冬獅郎は副官室の入り口の柱に背を凭れさせて立っている。
配置的に、乱菊は斜め後ろを向かなくてはならない。

「どーしたんですか?こんな時間に」
「こっちの台詞だ、んなもん。お前がいつまでも帰んねぇから気になって来てみたんだろーが」
流魂街出身の者や、両親を亡くした貴族など、実家を持たない護廷隊員には宿舎が用意される。
中には瀞霊廷内に屋敷を建てる者もあるが、大半は集合住宅のような宿舎で生活している。乱菊もその一人だ。
「隊長こそ、帰らないんですか?」
「...俺は今まで仕事してたんだよ」
「アラ、それはすいません。言って下されば手伝ったのに」
「良いんだよ、別に」
“もしかして、わざわざ霊圧探ったんですかぁ?”ふざけた調子で尋ねる乱菊に、冬獅郎は“悪いか”と吐き捨てるように言った。

「...帰っても、眠れねぇのか?」
「...ハイ」
「しかも今日だけじゃねぇな」
「...何でわかるんですか?」
「そんだけ隈出来てたら誰だって気付くだろ」
言われて初めて、乱菊は自分の蒼い瞳の下に巣食う疲れの証に気付いた。





この3日間、昼間は隊長代理業務に追われ、夜も休む事すら儘(まま)ならなかった。
――否、自ら眠ろうとしなかった、と言っても嘘にはならない。宿舎には帰らず、隊舎で夜を明かした。

今日の朝、3日ぶりに出勤してきた冬獅郎は、書類も任務も復旧作業も…業務全てが滞りなく進行している事に驚いたものだ。全く混乱は見られなかった。
隈も気にせず自分の回復を喜んでくれた乱菊に感謝すると共に、そんな苦労をかけてしまった事を申し訳なくも思った。





「悪かったな。この3日間、大変だったろ」
「イエ。むしろ...良かったです」
“仕事に没頭している間は、何も考えなくて済みますから”そう言って乱菊は力無く笑った。
冬獅郎はそんな彼女を見て普段から寄せている眉間の皺を一層深くして、“そうか”とだけ答えた。













尸魂界に甚大な被害をもたらした3日前の出来事。旅禍による被害も含めると十一番隊を始め多くの怪我人が出た。
そして、事件の首謀者である藍染惣右介を含む3人の隊長は反膜に包まれて虚圏へと逃亡した。
――と言っても、冬獅郎はその場に居なかったので詳しい事は知らない。
3人が逃亡した事、藍染の狙いが朽木ルキアの魂魄の中に埋められていた崩玉という物質であった事、それを奪われた事…全て、四番隊隊長卯ノ花烈から聞いた話だ。




冬獅郎の幼馴染で、藍染の直属の副官である雛森桃も、冬獅郎と同じく藍染に斬られた。


『藍染、俺はてめえを...殺す』



あの時...清浄塔居林に到着した冬獅郎の目の前には、信じられない光景が広がっていた。

何者かに殺されたと思われていた藍染がにこやかに話しかけてきたり
、 彼とも、自分とも敵対しているはずであった市丸ギンが、藍染と親密そうに話していたり、
胸を一突きにされた桃が倒れていたり...

そして何よりも驚いたのは、藍染の吐いた言葉に、だった。

『自分に憧れを抱く人間ほど御しやすいものは無い』
『憧れは、理解から最も遠い感情だよ』
それは桃のこれまでの努力を全て否定する言葉。
冬獅郎はこの時はっきりと気付いた。自分達は皆、この男に利用されていたのだという事に。

力任せの卍解は全く歯が立たなかった。冬獅郎はなす術も無く藍染の前に崩れ落ちた。





「だから」
追憶の海を彷徨っていた冬獅郎は、乱菊の声で現実に引き戻された。
「隊長が戻ってきちゃってやる事がなくて困ってるんですよ」
“もう”と乱菊は笑って、冬獅郎に背を向けた。






乱菊は朽木ルキアの処刑を止める為、冬獅郎と共に中央四十六室に出向いた。
そこで2人が見たのは変わり果てた四十六室の姿。
その時の2人は知る由も無いが、それを行ったのも藍染達であった。
2人は四十六室の代わりに三番隊副隊長の吉良イヅルに出迎えられた後、冬獅郎の質問に答えず逃げたイヅルを追って走った。
そしてイヅルに桃が十番隊隊舎から出た事を知らされた冬獅郎がその場を離れてから、乱菊はイヅルと対峙した。
イヅルが侘助を開放して斬りかかってきたのを受け、乱菊も灰猫を開放した。
斬りつけたものの重さを倍にするという侘助の能力は、刀身が灰になる灰猫の前では全く効果がなかった。
その為、乱菊は無傷でイヅルを倒す事が出来た。




その後、四番隊副隊長虎徹勇音の天挺空羅によって事件の首謀者が藍染である事を知った乱菊は双キョクに向かい、他隊の隊長格と共に3人の反逆者を捕らえた。


『ちょっと残念やなぁ...』

彼女は幼い時を共に過ごしたギンの手を掴み、彼の喉元に刀を向けた。
命の恩人でもあり、自分に誕生日という物をくれたのもこの男だった。
彼が冬獅郎と敵対した時から――否、彼に置いて行かれた時から、同じ道を歩む事など永遠に不可能だと、わかっていた。

『もうちょっと捕まっとっても良かったのに...』

だが、それはあまりにも唐突過ぎた。

『さいなら、乱菊』

次に会う時は敵同士。

『ご免な』

何に対する謝罪なのか。
このような事件を起こしてしまった事へなのか、または乱菊をまた置いていく事に対してなのか...
それはギンにしかわからない。

何にせよ、あの事件は乱菊の心に深い傷を残した。
それがわかるからこそ、冬獅郎にとって乱菊の笑顔が辛かった。




体の傷は大抵いつか癒え、消えてなくなる。だが、心の傷はそうはいかない。




「そんなにお前に任せてらんねーよ」
「あら、あたしじゃ役不足だって言うんですか?」
「いくらお前だって休まなきゃやってらんねーぞ?だから、とりあえず帰れ。此処じゃ休めねぇだろうが」

普段から勤務時間が延びて夜にかかる事の多い四番隊などとは違い、十番隊の副官室には寝台は置かれていない。
執務室と同じくソファはあるが、ゆっくりと体を休めるには適さないだろう。

乱菊の身を案じての言葉だったが、彼女はそれを聞いて顔を曇らせた。
「隊長が帰ってから、帰ります」
「俺は今日はこのまま此処に泊まってくから、お前は帰れ」
「...いやです」
拒否する乱菊の言葉を聞いて、冬獅郎は顔を顰める。
「お前...あのなぁ、」
「あたし」
乱菊の、握り締めた両手が震える。


「怖かったんですから...隊長が藍染隊長に、負けたって、聞いて…」
「松本」
冬獅郎は宥めるような口調で名前を呼んでから、一歩、乱菊に近付いた。

「何であの時隊長と離れちゃったんだろうって...隊長まで...居なくなっちゃったらどうしようって...」
目が覚めると、傍らに居たはずのギンの姿が消えていた。
「松本」

「もう嫌ですからね、置いていくのも、置いていかれるのも...」
温もりだけが残っていた。でもそれもすぐ消えてしまった。
「松本」
冬獅郎はソファに片足をかけて乱菊よりも少し高い位置に目線を取ると、その体勢のまま抱え込むようにして乱菊を抱き寄せた。




「たいちょ...」
「俺は」
それから腕に力を入れて、しっかりと抱き締めた。


「俺は此処に居るから」


「俺は、お前の側を離れたりしねぇ。一人で何処かに行ったりもしねぇ。
お前を裏切ったり、絶対、しねぇから...」
最後は掠れて言葉にならなかった。
「だから、心配すんな」
「隊、長...」


そんな事、出来るわけない、と乱菊は思った。
人の心は変わるもの。今隊長があたしと一緒に居る事を約束してくれたって、明日にはどうなるかわからないじゃない、そんなの口約束にしかならない。

それにこんな仕事をしている以上はいつだって命の危険がつきまとう。
どんなに隊長が強くったって、藍染隊長に倒されて、もう一足遅ければ死ぬ所だった。
これから起こるであろう戦いの中でだってやっぱりいつ死ぬか分からないのよ、あたし達は。
そしてあたし達の魂が尸魂界から飛び立つ時には、やっぱり一人なのよ。
隊長と永遠に共に在るなんて、無理よ、と。

だけど。

単純に嬉しかった。その言葉をくれた事が。

その言葉が真実にならなくたって、今のこの瞬間だけでも本当に隊長がそう思ってくれているのなら、あたしは、今この瞬間の隊長を信じる。

この気持ちをくれた隊長を信じる。


あいつはあたしに沢山の事を教えてくれた。あたしはあいつに沢山のものをもらった。
この世界の事、生きる術を持つことが必要な事。
嬉しい事も悲しい事も全て。誕生日も、くれた。
そして最後にあたしの心にしっかりと跡を付けて、あいつは去った。
沢山の事を教えてくれた。沢山のものをもらった。
だけどこんな言葉はくれなかった。こんな気持ちはくれなかった。
あたしも何も出来なかった。あの頃は求める事しか知らなかったのね。


だけど今は違う。まだまだ力不足かもしれないけど、
あたしは確かに隊長の背中を護っている。
支えている。
隊長と共に在る為に。
その結果が、この言葉。

この人は本気で言っているんだ。あたしと一緒に居る、と。
そしてこの約束を守るために必死になってくれる。口約束なんて出来ない人だもの。

――バカみたいね、あたし。
よく考えてみなさいよ、こんなに、違うじゃない。




「ごめんなさい...」
何に対してか、呟くように乱菊の口から零れた言葉に冬獅郎は答えず、彼女の黄金色の髪に顔を埋めた。






「俺の...心臓の音、聞こえるか?」
「...ハイ」
冬獅郎の胸に顔を寄せるように抱き締められている乱菊の耳には、幾分速い冬獅郎の鼓動がしっかりと届いていた。


「人の心臓の音聞くと安心するだろ?」



『人の心臓の音聞くと安心するやろ?』

『うん...』
全てに怯えていたあたしを抱き締めて、ギンは言った。
『この世に自分だけ、なんて事はないんよ?こーやってボクも、乱菊と一緒に心臓動かして生きとる。
確かに一回死んだけどな、せっかくまた此処で生きとんのや、諦めたらあかんよ?何も怖い事無いんやから』
優しく諭すように。


乱菊は冬獅郎の問いかけに答えるように、羽織を掴んだ。

「俺はお前と一緒に居るって事、わかるだろ?だから安心しろ。一人にしたりしねぇから...」
昔同じ事を言った人は、もう居ない。永遠に離れてしまった。
震える乱菊の肩を、冬獅郎はもう一度しっかりと抱き締める。
「泣いて良い。強がんなくて良い。泣き疲れたらそのまま寝ちまえ。
それで、明日になったらまたいつもみたいに笑ってくれ。俺はそれで充分だから」

――早く市丸なんて忘れちまえよ...



冬獅郎は出かけた本音を呑み込んだ。出来るはずの無いその言葉は、彼女を苦しめる事にしかならないから。





冬獅郎は、安心したのか自分の腕の中で眠った彼女をソファの上に横たえて自分の羽織をかけてやると、乾いた涙の跡をそっと指で辿った。



Postscript *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


姐さんは人前では泣けないタイプだと思いました。
後輩達の相談には笑顔で乗ってあげていそうだけど、いざ自分が苦しい時はどうするんだろう?と。
でもやっぱり、ひっつんの前に居る時が一番可愛い姐さんのこと、ひっつんが受け止めてあげるんじゃないかな。ひっつんは中身すごく大人なので、姐さんを慰めたりするのも得意そう。
今回は最後まで白くて紳士でしたが、多少黒くて策士でも良いですv(ぇ
無理やり襲うような度胸まではなくて良いですが。特に今回、姐さんの心に居るのはギンさんなので。

「宣戦布告」と似ちゃいましたが、実は書いたのはこっちのが先です。1ヶ月以上は前。しかも結構色んなサイトさんで似たネタを見かけるんで迷ったんですけど、「人の心臓の音を聞くと安心する」ここをどうしても書きたくて書き上げようと決意しました。

ちなみに最初の「やっぱり、ダメだ」は姐さんとひっつん、どっちの台詞ととって頂いても良いようになっています。どういう意味になるのか想像してみて下さい。
あと、宿舎。これについては悩みました...ドラマCDだと「宿舎に帰る」とイヅルが言っているのに、ルキア本には「隊舎で生活する」と書いてあるので。原作だとどうなのか知りたいです。とりあえず、今回は宿舎で生活している、という設定の方をとってみました。

長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました!

(4/3/06)

トップに戻る

花粉症対策